お見合いや結婚に関わる青森県の歴史的背景
青森県の誕生には、明治初期にあった次の七つの藩が、大きく関与しています。
- 盛岡藩(通称:南部藩)
現在の岩手県中北部(旧陸中国や旧陸奥国中北部)から青森県東部(旧陸奥国)にかけての地域
- 弘前藩(通称:津軽藩)
現在の青森県の西半部(旧陸奥国津軽郡)の地域
- 黒石藩(津軽藩の支藩)
- 七戸藩(南部藩の支藩)
- 八戸藩(南部氏族)
- 斗南藩(会津の領地を没収された松平容保の嫡男が幕末に陸奥国斗南に立てた藩)
- 館藩(北海道渡島半島に成立していた藩)
歴史を遡ると、元々、弘前を中心とする津軽地域は、十六世紀末まで、南部藩が郡代を派遣して支配しており、分かり易く言えば植民地状態だったのですが、郡代補佐の大浦為信が、南部氏の内紛に乗じて独立を図り、南部藩の藩祖である南部信直の父高信を殺し、南部藩の領土の西半分を奪って、津軽氏を名乗った経緯があります。
そんな経緯から、南部人は、津軽人に対して、抜き差しならない増悪を抱くことになり、津軽藩主が参勤交代で江戸に出向く際も、南武領域を通過することを許さなかったくらいなのです。
戊辰戦争開戦時は、弘前藩も盛岡藩も当初奥羽列藩同盟に属していたものの、途中で弘前藩が官軍に寝返り、盛岡藩は1868年9月20日に官軍に敗北し、9月22日には、官軍に降伏が受け入れられていました。
ところが、翌23日に、官軍側の弘前藩と黒石藩の連合軍が盛岡藩の南部氏族である八戸藩内の野辺地に侵攻したことがきっかけで、野辺地戦争が開戦し、盛岡&八戸藩連合軍が弘前&黒石藩連合軍を返り討ちにして、戦闘は1日で終了しました。
但し、戊辰戦争そのものに敗北した盛岡藩は、大幅に石高を減らされ、減封された跡地に斗南藩が置かれ、元会津藩の松平家が入りました。
そんな犬猿の仲である盛岡藩と弘前藩を中心とした上記7藩は、1871年8月29日の廃藩置県で、それぞれ「藩」から「県」となり、直後の1871年9月4日に、盛岡県以外の6つの県を合併させて、一旦「弘前県」が成立し、当初は弘前に県庁がありましたが、僅か19日後の1871年9月23日に、弘前から、青森に県庁を移転して、青森県と改称された経緯があります。
「青森」の地名は、弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めたときに名付けたもので、現在の青森市本町付近に、海上からの目印になる青い森があったことが由来とされているそうですが、その昔、小さな漁港に過ぎなかった青森を県庁にした背景には、津軽藩の政庁で、文化水準の高い弘前と、八戸藩の中心で、大きな漁港を持っていた八戸のいずれか一方に県庁を置けば、地理的な隔たりが出来てしまう為、江戸時代末期には津軽藩で最も大きな港町になるまで発展し、地理的にも両藩の境界から僅かに津軽側に寄っただけの場所と言うことで、青森が県庁に選ばれ、件名も「青森」が採用されました。
それでも、津軽人、特に弘前人は、このことに不満を抱いた筈で、全国的に有名な青森の「ねぶた祭」に対抗し、弘前では「ねぷた祭」として、違いを強調しています。
お見合い専科ハーモニーコースにご登録いただいている青森県の会員様の傾向
青森県で生まれた会員さんのお見合いや交際状況を見ると、他県で産まれ育った方と比較して、所謂「じょっぱり」(=強情っ張り・意地っ張り)の傾向が強いのですが、前述した歴史的経緯もあり、津軽地域で産まれた方にその傾向があります。
実際、他の都道府県の方が「青森県」と聞いて、「八戸」を思い浮かべる人は少ない筈で、ねぷた祭・弘前城の桜・津軽平野のリンゴなど、すぐに思いつくのは「津軽」地方の筈です。
これは、津軽人が、活動的で、出しゃばりで、弁の立つ人が多いからで、アピール度が強い傾向にあることを表している一例なのですが、一方で、ピュアな心情や思いを「じょっぱり」精神で貫き通そうとする為、摩擦が多くなり、それを改めようともしないから、世渡りが下手な傾向にあります。
従って、同じ青森生まれの会員さんでも、南部の会員さんは無口・物静か・引っ込み思案・おっとりといった単語で表される傾向にある一方で、津軽の会員さんは、陽気・積極的・臨機応変で柔軟な対応といった単語で表される傾向にあります。
また、地域を問わず、青森県で生まれた方に多い傾向は、まじめで誠実であることで、浮気したりすることも少ない一方、軽い人付き合いは苦手で、遊びのつもりが本気になってしまうケースも多いようです。
青森県のお見合い&結婚相手候補者のマッチング特性
個別に異なるとは言え、前述の通り、津軽地方で生まれた方と南部地方で生まれた方とでは、性格が正反対である傾向が高く、実際、双方の地域で生まれた方をマッチングしても、なかなか、お見合いや交際、強いては結婚には到らない統計があります。
これは、前述した歴史が、現代の青森生まれの方のDNAにもしっかりと刻まれているものと思われますが、歴史的背景のみならず、太平洋側の南部と日本海側の津軽では距離もあり、気候も違い、生活文化の違いもあり、特段希望がある方や、対象者が少ない方を除けば、前述した既存会員様の性格特性からも、南部の方には南部の方を、津軽の方には津軽の方を自動的にマッチングするプログラムになっております。